カテゴリーアーカイブ CEO’s blog『我が妄想』

キャリアと人生の悩み方

私、いわゆる元jobhoppperでして、32までの間で5社を渡り歩きました。ホップしました。

キャリア感、人生観は年を経ると変わりゆくもので、今思っていることが数年先には変化することも踏まえつつ、自分の経験を元に足元の整理状況を書き残します。

結論、キャリアも人生も日々の感情アップダウンに悩まされずに、着実に楽しんでいくための秘訣は長期的な夢や目標の明確化にあるかと。ネクストステップとして、目標のブレークダウンすなわちマイルストーン設定があるのだけれど、まずは明確化。

前職で中途採用責任者を務めていたり、インターンの子達と関わっていたこともあり、キャリアに関して頻繁に相談がくるのだけれど、常に主張し続けているのは明確化。

ただ、ここに1つ極めて重要なポイントがあって、短期ではなく中長期で考えるという点。

大体、面接をしたりキャリア相談にのると、「xxのスキルや経験を積んで…」みたいなコメントを頂くけれど、その先に何を目指すの?という質問の回答は極めて漠としていることが多い。

地位や名声でも、お金でも、そこは個性なので何でも良いと思うのだけれど、「じゃあ具体的にいくら欲しいの?」、「どの地位に行きたいの?」の回答は、「なるべくたくさん」、「経営者」みたいな回答が返ってくる。だが、ここまで漠としていると、マイルストーン設定も極めて難しい。

結果的に、このプロセスを端折って、とりあえず営業、とりあえずwebマーケ、と次の無難なステップばかりを意識している方が大半。

寿命が千年ならこれでよいと思うが、実際は百年もない上に、30半ばになれば選択肢も限られてくるので、短期的なゴールのボトムアップでキャリア形成を考えていると、突如大きな分岐路に気付いて悩む方はとても多い。なので、遠回りでもトップダウンで、なりたい姿から時間軸を考えてマイルストーンを設定することをお勧めする。

とはいえ、いきなり夢や目標を考えると、なかなか出てこない自分にやきもきするものである。なので、まずはうまく整理しようと考えずに思いつく限り書き出してみる、そして少しずつ具体化してみることが良いと思う。どんな経営者になりたいか、何人規模の会社をつくりたいか、お金で何を買いたいか。

具体化しないと何が起こるか。経営者になりたい、という目標だと、個人商店を作ってもユニコーン企業を作っても、達成していることになってしまう。でも、当初夢見た姿はもしかしたら個人商店レベルではないのかもしれない。なので、具体化は自己へのハードル設定となり、モチベーションにも昇華されるのである。

仕事もキャリアも、常にゴール地点を明確に意識することは有用である。仮にそれが道半ばで変化したとしても、軌道修正が早くなる気がする。

さらに長期的かつ具体的な目標を持つメリットとして、心が折れにくくなるというものがある。レンガを積んでいる人、家を作っている人、の話に代表されるように、どんなに退屈なプロセスでも、自分を支えてくれる夢があるのは大きい。

なので、キャリアでも人生でも、長期的な夢や目標を持つことが大事だと考える。意外と自分と向かい合って絞り出すことは骨の折れる作業だけれど、その先の効果を考えれば十分に元が取れると思うのである。

泥臭い仕事

学生時代はほとんど耳にする事のないくせに、社会人になるとやたら耳にするこの言葉、暫く好きになれなかったし、今も妙な違和感を感じるものだ。

学生時代から会計士”先生”としてキャリアをスタートしてしまった自分は、何かにつけこの言葉がよくわからない足枷に使われることが多かったからだ。どうやら、キレイなシャツを着てパソコン作業をしていると泥臭い仕事は出来ないだろうというのが世間の相場らしい。

私の実家はアパレルプリント業で、泥ではなかったが、埃とインクに塗れて作業をしているのが当たり前の風景だった。別にそれが誇らしいことだとも思わなかったし、逆に尊いことだとも思わなかった。

今の自分ならもう少し相対的に捉えらたのかもしれないが、少年の世界は狭いもので見ている光景が全てで、それでいて何も疑問を感じない当たり前の世界だったのだろう。

会計士先生になると急に恭しく扱われ、社会のイロハもわからないままタクシーの後部座席に乗せられる。それはインクまみれの世界にいた少年からはよほど不思議な世界に見えた。でも世の中から見られる自分の姿は、その心にあるのではなく、具現化された姿なんだとすぐに気付いた。

会計士の仕事が合わずに営業職やらで転職活動を続けるとやたら聞かれるこの質問、「君は泥臭い仕事が出来るのか?」。コンサルや投資銀行も含めてありとあらゆる会社で聞かれた気がする。

何を言っているんだこの人は、そもそも泥臭いって何のことだ?なんて訝しんでいたが、泥臭さ(に加えて色々な要素)が足りなかったらしい自分は100社近い会社に落とされた。

他にも原因はいくつも考えつくのだが、うちの1つとして私からは泥の臭いがしなかったのだろう。

話は逸れるが、監査法人時代に車内の先輩に憧れ、先輩の好きな落ち葉を集めに九州だかどこかに落ち葉拾いに出かけた部下がいた。落ち葉から泥臭い臭いがしたのかどうかはわからないが、会計士の彼は落ち葉の臭いを感じながら箱詰めをしていたとは思わない。きっと夢中でそれどころではなかっただろう。

そんなものだと思うのだ、結局。

夢がある人間にとって、そのプロセスにどんな臭いがするかなんて全く関係ないだろう。自分の眼の前にある作業からどんな臭いがするかなんて考えてたらやってられん。

でも、逆にだからこそ、自分が取り組む目の前のプロセスの先に何があるのかあるかを意識することは大事なんじゃあないか。

なんてまとめてみる金曜日。

そんじゃーね。

きまぐれ起業日誌2:新規事業をやるということ

企業勤めをしていた頃は、よく若手から「新規事業がやりたいです」という声を聞いた。やや謙虚な若手だと「まずは既存事業でスキルをつけて、それから新規事業をやりたいです」となる。

ちなみに、新規事業をやりたいという声に対して個人的な肯定否定はない。むしろ、何もやりたいことが無いよりよっぽどよいと思う。

ただ、意識すべきだと思うのは、何を持って新規とすべきか、だ。

おそらく先の声は、世の中に何か自分が関わって新しいものを生み出したいという気持ちから生まれたのだろう。良いことだと思う。

他方、新しいものというのは必ずしも新規事業から生まれるものではないというのが今回のポイントだ。

例えば、世の中におけるイノベーションは、全く新しい何かを発明することから生まれることもあるが、その多くは既存の物事のブラッシュアップから生まれていると思う。

例えばトヨタの強さは、車を作ったこと、ハイブリッドを導入したこと、などもあるが、ジャストインタイムを浸透させたことも大きな要素であることは有名だ。ディーラー網を構築したマーケティングもしかり。そして、おそらく本当の強みはそうした著名な仕組みよりも、日々の目立たない改善活動にあろう。

模倣されないプロダクトもビジネスも難しいし、そのスピードも早まる昨今、本当に新規と呼べるものは何か。新しい事業を作っても、利益を生み出せなければ意味はないし、おそらくその事業はほぼ先駆者がいたり、代替可能な事業やプロダクトが存在する。

そうした中、新規事業も良いけれど、既存事業のブラッシュアップも新規と呼んで良いと思うし、ある意味でスキルとしてはそちらの方が再現性が高いと感じる。

そして、これは蛇足だけど、新規事業は本当に面倒くさい。仮説検証に時間がかかるし、リソースが乏しければしょーもない事務作業に忙殺される。そんな作業は事務の人がやってくれるから、と思っているなら、それも効率考えたら間違っていないのだけれど、例えば将来自分でスタートアップやるならそこも経験しておいた方がいいだろう。

それらを全部やれたところで、やっと土俵に立てるといった感じだ。しかも成功確率高くないから賞賛を受けることも少ない。

それでも新規事業やりたいですか?

きまぐれ起業日誌1:情報コスト

ブログなんて続かないのわかってるもんで、思いつきで書いてみようかと。

結論を先に述べると淡白でつまらないのだけれど、”情報にはコストがかかる”ってことで。

情報には様々な種類があるけれど、例えば「xxの会社のxx事業はうまくいっている」という話。

これは、フタあけてみると実は全然赤字だったり(トップラインは伸びてる場合もある)、利益出ているように見えて、管理会計きっちりやると実は赤字だったり。

新規事業調査するときなんかは、比較的市場規模が大きかったり、認可制の事業だったりするとデータがそこそこネットや書籍で取れるのだけれど、多くの場合そうはいかなかったりする。

その場合、色々な業界関連の人に話を聞きながら仮説を立てていくのだけれど、聞く人によって仮説に矛盾が生じちゃったりすることは多々あって、手元のデータと人から聞いた二次情報を組み合わせながら考えるのだけれど、そこにも矛盾が出てきたりして。

データもサンプルや前提によって大きく信ぴょう性が変わってきたりして。

昔、会計士をやっていた頃に”職業的懐疑心”というワードがあったけれど、これはかなり大事で、1つ1つのエビデンスが強いものでない限り、複数のエビデンスを固めながら真実に近づくというアプローチ。

事業についても、核心に迫るためには複数の情報が必要で、もちろん100%に至ることはないのだけれど、それが低いと判断に混じるギャンブル性が高くなる。

世の中にまだ存在しない事業を作る人はホントに尊敬に値すると僕は思っていて、エビデンス収集がほぼ不可能な中、自分の仮説を信じて突き進むことになる。

他方、既存市場でやるなら先人達の経験や知恵があるから、なるべくそれらを集めようとすることに意味が出てくる。けれども、先に述べた複数のエビデンスを集めるためにはそれなりのコストがかかるわけで。

この場合のコストは金銭的な場合もあるけれど、アクション量という時間的なコストが主に注目される。

個人的には、アクションによって確度が1%でも上がるなら、そこは徹底すべきだと思っている。例外的に新しく市場が出来つつあって、参入者が増えているときなどはスピードが大事なので、走りながら考える度合いが強くなるのだろうけれど。

思ったことをちらつら書いていたらとりとめのない文章になってしまったけれど、とにかく仮説の確度を上げるためにも、コストをサボらずに払う事は大事だなぁと最近実感している。

そこまでしたって、成功の確度は統計的には十分に低いのだから。