ブログなんて続かないのわかってるもんで、思いつきで書いてみようかと。
結論を先に述べると淡白でつまらないのだけれど、”情報にはコストがかかる”ってことで。
情報には様々な種類があるけれど、例えば「xxの会社のxx事業はうまくいっている」という話。
これは、フタあけてみると実は全然赤字だったり(トップラインは伸びてる場合もある)、利益出ているように見えて、管理会計きっちりやると実は赤字だったり。
新規事業調査するときなんかは、比較的市場規模が大きかったり、認可制の事業だったりするとデータがそこそこネットや書籍で取れるのだけれど、多くの場合そうはいかなかったりする。
その場合、色々な業界関連の人に話を聞きながら仮説を立てていくのだけれど、聞く人によって仮説に矛盾が生じちゃったりすることは多々あって、手元のデータと人から聞いた二次情報を組み合わせながら考えるのだけれど、そこにも矛盾が出てきたりして。
データもサンプルや前提によって大きく信ぴょう性が変わってきたりして。
昔、会計士をやっていた頃に”職業的懐疑心”というワードがあったけれど、これはかなり大事で、1つ1つのエビデンスが強いものでない限り、複数のエビデンスを固めながら真実に近づくというアプローチ。
事業についても、核心に迫るためには複数の情報が必要で、もちろん100%に至ることはないのだけれど、それが低いと判断に混じるギャンブル性が高くなる。
世の中にまだ存在しない事業を作る人はホントに尊敬に値すると僕は思っていて、エビデンス収集がほぼ不可能な中、自分の仮説を信じて突き進むことになる。
他方、既存市場でやるなら先人達の経験や知恵があるから、なるべくそれらを集めようとすることに意味が出てくる。けれども、先に述べた複数のエビデンスを集めるためにはそれなりのコストがかかるわけで。
この場合のコストは金銭的な場合もあるけれど、アクション量という時間的なコストが主に注目される。
個人的には、アクションによって確度が1%でも上がるなら、そこは徹底すべきだと思っている。例外的に新しく市場が出来つつあって、参入者が増えているときなどはスピードが大事なので、走りながら考える度合いが強くなるのだろうけれど。
思ったことをちらつら書いていたらとりとめのない文章になってしまったけれど、とにかく仮説の確度を上げるためにも、コストをサボらずに払う事は大事だなぁと最近実感している。
そこまでしたって、成功の確度は統計的には十分に低いのだから。
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